
自分達にしかできないことをする意味
大胆で楽しいデザイン力にみちた「慶長の美」をテーマに、絵巻物のようなコレクションを発表しているmatohu。デザイナーの堀畑 裕之・関口 真希子による、和でも洋でもない全く新しい服作りを提案する彼らの魅力に迫りました。
nuan(以下 n): お2人とも大学を出てからアパレルに進んでいらっしゃいますよね?アパレルへの意識というのはその頃からあったのでしょうか?
関口(以下 関): まったくなかったですね、当時は本当にそのまま勉強をしていようと思っていました。ですけど、私はもともと自分の服を自分で作っていましたし、着たい物もなかったということもあり、興味はすごくありました。ただ、本を見て独学で作るのにも限界があり、服に関してはしっかりと勉強をしないと分からないじゃないですか、メンズのテーラードを学びたいという気持ちもありましたので、服飾の道へ進みました。
堀畑(以下 堀): 私は当時パリコレのパの字も知らない程でした。大学では哲学を学んでいまして、アパレル、ファッションからは全く縁遠い世界でした。学問研究に没頭し、ドイツに留学したりとかもしていましたし、その頃はもちろん結局学者になろうと思っていたので、今後は大学院博士課程に進み…と思っていました。
でもすごく狭い世界なんですよ。自分の足元を掘り続けていくような学問なので、共有できる人が、もしかしたら世界に10人いるかな?という世界で。そういうことに虚しさを段々感じるようになっていて、自分が生きる屍になっているなぁとある日気づいて。もっと広い世界の人とコミュニケーションできるような仕事につきたいなとそのときに思いました。もちろんかなり悩みましたけどね。
n: 意外ですね、でもなぜ哲学を学んでいたという所からファッションを選んだのですか?
堀: 色々な出会いがあったんですよ。京都でモードのジャポニズム展というのがあり、そこで日本のデザイナーがこんな事をしているのかということを初めて知りました。そしてその時に初めてYohji Yamamotoとか、ISSEY MIYAKE、COMME des GARCONSとかを知り、すごいなぁと思ったんです。そのときにファッション批評を哲学サイドからしていらっしゃる鷲田清一さんの文章を読み、この世界でデザイナーではなくても、クリエイティブなメゾンでスタッフとして働きたいと思いました。そのためには専門的な知識が必要だと思い、文化服装学院へ。
n: 文化服装学院でお2人が出会ったのですか?
堀: はい、文化服装学院で1番最初の基礎科のクラスで同級生になったのが、関口です。お互いに大学卒業後ということもあり、意気投合しました。そして1年生の夏くらいから一緒に舞台衣装などを作っていました。
n: そのころからいつかは2人でブランドをと思っていたのですか?
関: いや、まったく考えていませんでした(笑)。なんかクリエイティブな仕事がしたいと思っていて、ブランドを立ち上げるというよりは1つの会社で、自分が力を発揮できる場所を探していました。独立とかはまったく考えていなくって。
堀: ただ、「なにか新しい誰もやっていない切り口のものを」とはお互いずっと思っていました。その考えがまとまり始めたのが働き始めてから5年目くらいの頃ですね。
2人でなにか人がやっていないような事をするなら価値がある、既に人がやっているもののセンスを良くするだけならばやる意味がない。ですけど、その後すぐにブランドを立ち上げたわけではなく2人でロンドンへ行きました。
n: お互いに思い続けていたんですね、なぜロンドンを選んだのですか?
関: 1つは英語。パリでも使えますし、スキルとして欲しかったというのもあります。NYではなくロンドンを選んだのはヨーロッパ側の方が私達の感覚に近いと思ったので。
堀: 自分達でまだ名前も決まっていなかった「matohu」の大まかなコンセプトを考えながら1年ロンドンで生活しました。ヨーロッパという環境において2人でコンセプトに対し、ひたすら掘り下げていきました。1年かけて、「こういう風にしたらよいのでは?」と真剣に。それで日本に戻り、小さいアトリエを借りて、服作りを始めました。

