「前衛性」と日本のファッションの関係とは? [vol.2]

 さて、前回の記事で述べたように、西洋のファッションにおいて、「前衛性」という概念はすでに消費の対象のひとつとなっており、対抗概念としての効力を失っている。そして、この「前衛性」の失効は、1980年代までにパリ・コレクションにデビューした日本人デザイナーがそうであったように、日本人であることが対抗概念として機能しなくなったという構図と、共通点の多いものである。

 1980年代、ヨウジヤマモトやコム・デ・ギャルソンが「アヴァンギャルド」と称された理由には、彼らのデザインの特異性という点はもちろんあるのだが、その特異性を生み出していたもの自体が、「日本」という周縁から西洋服飾史やファッション史に立ち向かっていくために生まれたものであったと言える。日本人であることがまだ当たり前ではなかった西洋のファッションのなかでは、日本人であること自体がカウンターカルチャーともなり得、さらに西洋のファッション側でも、西洋以外のデザインがもたらす「新しさ」を望んでいた。しかし、現在では、「日本」は「前衛性」がそうであるように、西洋のファッションシステムのなかに組み込まれており、それ自体が対抗概念として働くことはなくなっている。加えて、日本のファッションは、西洋のファッションのように「正統」を持っているわけではなく、対抗概念として働かなくなった以上、またファッションがグローバルに均質化してきている以上、デザイナーそれぞれが「正統」を模索しなければならない。これらの要因が、2010年代である現在、日本で活動している日本人デザイナーの多くを、より深く内的なものを探求することによるデザインへと向かわせているように思われる。

 例えば、直近のショーを「最前ゼロゼロ」として、でんぱ組.incのライブとともに展開したMIKIO SAKABEや、アニメや漫画のなかの少女的な女性像に基づいた衣服を制作しているkeisuke kanda、「部屋」を主題とした、引きこもりの人が安心して着用できるようなスペースとしての衣服を制作しているhatraらは、自分自身に深くコミットしているものとして、サブカルチャーやオタク文化をデザインやショーの見せ方に投影している。彼らの取り組みにおいて、サブカルチャーは解釈されるものではなく、身体感覚や美的価値、また「今ここ」で起きている東京カルチャーの表象という部分で、実体験を伴って提示されている。また、コラム第一回目で取り上げたwrittenafterwardsのショーの手法は、ファッションショー全般に対する批評的な目線というよりは、「ファッション」がひとつの文化として成立しておらず、コレクションウィークも効果的に機能しているとはいえない東京において、また、モードとストリートの境目が曖昧で「ファッション」を生み出す担い手も曖昧である東京において、西洋的な手法を踏襲してランウェイショーを行うことへの批評のように感じられた。その他、mintdesignsやTHEATRE PRODUCTSの、高い技術によるテキスタイルを駆使しつつ、「カワイイ」路線に括られていくような感覚、matohuの日本的なものを追求したデザイン手法、1990年代の原宿ストリートファッションの影響をデザインの随所に感じさせるANREALAGEなど、多くのデザイナーが、自らの出自や経験をもとに、それぞれにとっての「美」や「正統」を、それに従うで抗うであれ存在している西洋的な美の規範と、それに基づいたファッションの在り方に縛られず追求している。

 このような10年代の日本人デザイナーの存在は、ファストファッションやメガブランドにより均質化されたファッションを、良い意味で掻き乱す可能性を持ったものである。しかし、ファッションの言説の場が非常に乏しい日本において、彼らが今確かに存在し、日本のファッションにおいて革新的な取り組みをしていることは、90年代のデザイナーがそうであったように、容易に忘れ去られる恐れがあるだろう。ファッションについて記述することに関わっている者として、これらのデザイナーの活動について様々な観点から批評し、何かしらの価値付けを行っていくことで、独自の文化として発展しつつある日本のファッションを、ひとつの「歴史」として蓄積し、今存在している価値を未来へと残していく一助となっていけたらと思う。

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